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峯さんが学生だったころ

どのような学生生活を過ごされましたか?

ゼミでは芸術心理学を学んで、UI/UX、ピクトグラムの研究をしていました。入学時がちょうどバブルの絶頂期でしたが、当時はまだ珍しかったインターネットを通じて世界の情報を得ていたので、この景気は長くは続かないはずだと思いながら通っていました。

大学時代にやっておいてよかったことは何ですか?

図書館に入り浸っていました。専門書や洋書は高価で自分ではなかなか買えません。しかも今のようにネットで買える便利な時代ではありませんから専門の書店に行かないと手に入りません、そのうち自分の読みたい本を図書館で揃えてもらえればいいのではないか?と考え、たまたま募集のあった司書のバイトに応募しました。そこで選書に参加し、希望の本を推薦して叶えば最初に借りて読んでいました。
当時コミュニケーション論に興味があったため、ジャンルとしては、人と人が繋がり意識を共有するための一つの手段となる言語や音楽、宇宙について等でした。暇さえあれば、憧れの図書館のカウンターの中で好きなだけ本読んで過ごしていました。
好きな事をしたい→準備や学習にお金が掛かる→バイトで働く→仕事としていくらでも好きなことが出来る上に、その道のプロにタダで学べる。このパターンで、技術系のライターをやって、未発売のソフトを誰より早くプレイして、レビューを書いてお金と体験と発行したての雑誌や専門書を貰うということもやりました。

やっておけばよかったことはありますか?

もっと英語を学問として学んでおけば良かったなと思います。読み書きはICQという今のLINEのようなチャットサービスを使って、同世代の海外のティーンとコミュニケーションとる中で身につけましたが、コミュニケーションを学んでいながら真面目に学問として言語に興味を持たなかったのは、いずれテクノロジーで言語の壁は取り払われると思っていたからなんです(笑)。でも原著で読まないとわからない事は多々あります。翻訳を待っていたら1歩も2歩も遅れてしまう、ネット時代だからこそ痛感します。論文は原著を読んで良し悪しを測らないといけないので、学生時代に語学と読解力を学べば良かったなと思います。

峯さんが就活生だったころ

就活の際の軸は何でしたか?

就活サイトの無い時代でしたので、分厚い会社一覧のような本を配られ、その中から選んだ会社に電話して会いに行くというような就活でした。ちょうどバブルが弾けて、昨年就職した先輩の「ボーナスが年3回出る」という話が嘘のように、「ボーナスなんて出ないよ」と言われる状況に変わりました。
僕は講師の先生に誘われて小さなソフトウェア会社に、インターンのまま就職しました。家が近いからという理由で決めたので、就活の苦労自体は経験しなかったです。

勉強されてきたこととは違いましたか?

デザインシンキングというのは重要なポイントで、あらゆる仕事に必要な技能だと思っています。

就職されてからのお仕事の話を教えてください。

家が近いからと決めた就職先では、社会人として名刺交換の作法も電話の取り方も学ばないうちに、通勤に1時間かかる企業に出向させられてしまいました。プログラマーとして派遣されたのですが、派遣先の作っている製品がコマンドラインで起動するイケていない仕様だったので、勝手にウインドウシステム上でアイコンを作って起動できるように書き換えたりしました。それを面白がった営業担当者が客先に紹介したら半年で5セット売れてしまったのです(1セット2000万円のシステムです!)。そこで、見よう見まねで書いた企画書を派遣先の社長の机の上に置いてみました。今思えば若気の至りです。結果、社長の目に止まり、僕は今で言うところのプロジェクトマネージャーとデザインの担当に大抜擢されました。
人と話すのが好きというコミュニケーション論をフル活用し、客先に行っては要望や愚痴を聞き、それを開発側に伝えてデザインやプロジェクトを作っていくという事を、当時は名称も知らずにやっていました。会社から与えられる仕事は、ほぼ無かったので、生き残るために自分で仕事を探すしかなかったのです。新人という初々しい時期を活かし、トップダウンで話を通して、独立独歩でやれたことは良かったと思っています。

フリーランスになられたと伺いましたが?

プログラマーとして派遣された先で、会社の意向もあり徐々に企画寄りの仕事が増えて、社内初のマーケターという形で広告をやったりイベントマネージャーをしたり展示会を仕切ったりしていました。5年ほど勤めましたが、残念ながらバブル崩壊の余波で部門自体が無くなる事になり、本社に戻る事になったのですが、入社後、即客先常駐に出されたので馴染みの同僚もいませんし、愛着もない本社でした。しかも私は数年コードを書いていません。残念ながら本社では開発以外の仕事が無い状態だったので、居場所がないため、思い切ってフリーランスになる決心をしました。
元々、クリエイティブを発注していたデザイナーの方から誘われていたこともあり、当時黎明期だったデジタルパブリッシング(DTP)関連の手伝いをしながら本格的にデザインの勉強をしました。フリーランスですから仕事も自分で取ってこないといけません。出版社に出入りしながら仕事を取る日々でした。
デザイナーとして独り立ちしていく中で、アロマの瓶のラベルデザインの仕事を受けました。その際にセラピストの方が、「ラベンダーオイルで人はリラックスする」と言うのを聞いて、何故だろう?と思いました。薬学的に問うても答えは返ってきません。何かしらの成分が人体に作用する理由に答えが無かったのです。そこで友人の薬学大の先生と血流量を測定するなどして、「ラベンダーオイルで軽い麻酔作用に近い状態が発現する」とわかりました。エンジニアなので理論的に突き止めたかったので満足したのと同時に、人間の感覚器は凄いなと思いました。そこからアロマオイルに関しても独学を始めました。
アロマに関して学んでいくうちに、香りを使ったビジネスを思いつき、アロマオイルの輸入を単独でやりました。アロマオイルは区分上は油なので危険物となります。輸出入に関してはMSDS(危険物情報に関する安全データシート)を添付しないと空輸できません。とは言え、アロマオイルが「何度で自然発火もしくは発煙する」等、全くわからなかったので、自分で実験して計測しました。
こういった事全部が後になって今の物作り(ネクステートという弊社製品)に繋がっています。
デザイン志向という部分では、僕はずっと人を見るという事をやってきました。人を見ることで、人の欲しい物を作るのではなく、人に必要な物を作る事ができるようになりました。
この一見取っ散らかったキャリアは全部繋がって今になっている、何一つ無駄ではなかった、と思っています。

シェアメディカルを立ち上げるまでの経緯を教えてください。

ずっとフリーランスで、そこそこ収入はありましたが、属人的で収入の波も大きく個人で仕事をする限界が見えてきました。この先のキャリアを考えた時、一人でチマチマやるより、チームでもっと大きな仕事がしたいと思うようになりました。そこで、一旦会社員に戻る決断をします。転職エージェントが健康情報のサイトを作るのでウェブマスターとして来て欲しいと案件持ってきました。
入社後、Web担当は私だけだったので、自由にやらせてもらいました。病院検索サイトのPVを向上させ日本最大級まで育て、医療とITの連携を強力に推進するようになります。そんな中、東日本大震災が起きたのです。基地局のアンテナすら津波で無くなるという事態は予想もできません。ネットどころか通話すらままならないのです。
その時テレビで、泥だらけの紙のカルテを洗ってガラス戸に張り付けて乾かし、「電子カルテは津波でダメになったけど、これで明日から診察できます」とドクターが言っているのを見て衝撃を受けました。
スマホやタブレットは、いくらあっても圏外では使い物にならず、どんな優れたアプリを作っても何の役にも立たない…自分のやってきたことは何だったのかと打ちひしがれました。
その頃、自分のクリニックを閉めて被災地に向かうドクターも居ました、また海外から駆け付けた日本人ドクターもいます。彼らのメンタリティは何なのか? 収益を投げうって行く、海外のキャリアを捨ててまで戻ってくる? 彼らを知らなければ理解できません。それは会社にいてはできない事だと思い、卒業を申し出ました。
2014年の8月に退職、9月にシェアメディカルを創立しました。
アリババのジャック・マー氏と一緒です。「それしか方法が無かった。だから起業した」。とにかく先に動く。後ろで笑っているだけの人よりも先に一歩出れば先に進むことができる。わからなければとりあえず前に進む、を実践しました。

選択肢がなかったのです。社会の環境が大不景気で、銀行ですら傾く時代に、会社に入ったら安泰という時代はとうに終焉していたのです。自分の腕だけで食べていくには技術・知識・知恵・ノウハウを自ら身に付けるしかなく、使えるものは何でも使う、そういう時代でした。起業してからも順風満帆な時代だけではありません、時に支払いに窮するような厳しい状態も経験しました。
それでも物を作っていく、必要だから作っていく、というのが大きなターニングポイントだったと思います。

貴社の求める学生

厳しい事を言いますが、会社は学校ではないので育ててはくれません。しかもコロナ禍でそもそもOJTができない。フルオンラインでどこまで学ばせることができるのか?と考えると、即戦力じゃないと通用しなくなってきたと言えるかもしれません。しかしそれでは中途でしか活躍できないと悲観する必要はありません。学生しか持ち得ない体験と社会に対する想いを見ています。例えば弊社は医療系ですから自分や家族友人が病気になった時に何を感じたのか?自分の力でどう変えられるか?そういうナラティブは必ず必要になります。

僕は事業を追い求めているのではなくて、社会に対してコミットしているので、目の前のノルマをこなすのは会社人としては優秀かもしれませんが、社会人として果たして優秀なのか?と疑問に思います。弊社においては、社会をよくするにはどうしたらいいのかを考えられる「社会人」として優秀な人が望ましいです。どうすれば社会に自分の価値を提供できるか常に考えられる人、社会の困っていることを1歩でも2歩でも改善できる方法を24時間考えている人がいいです。

そしてヒューマンウォッチ(観察眼)をして、世の中を見て、自分なりにアンテナを張り、アンテナを常に磨いている人。少しでも反応があれば即行動するのは大切です。誰かがやるのを待つのではなく、まず自分がやる。失敗を恐れない。失敗したって生きていればなんとかなると、ストレス耐性がある方がやっていけます。アフターコロナはどうなっていくのだろうと、常にポジティブに考えて行動できることは大切だと思います。

貴社の魅力

やりたいことができる

何もない会社なので、伸びしろしかありません。やりたいことをもってきてくれて、それがいいねとなったら、足りないものはこちらが足します。

多様性

医療系なので、フリーアクセスのオフィスになっています。私に無い物を持っている人は基本的にリスペクトしています。そこにビジネス的なエッセンスを持っていればそれを仕事にすればいい、その環境があります。

社会に弊社をコミットしているので、社会に感謝される機会が多いです。ドクターたちから全幅の信頼と謝辞を貰えるもとはなかなかないと思います。社会の役に立っていると実感でき、「世の為人の為に何かしたい」を実現できます。

何故ドクターたちはクリニックを閉じてまで被災地に行くのだろう?を今はどう思っていますか?

「ヒポクラテスの誓い」だと思います。「医療を求める人がいるのならば提供しなくてはならない。人を救うことに生涯を捧げる約束づけられた人たち」だと思います。その人たちが存分に戦えるように、全力でツールを提供する。ツールを作る事にフォーカスする。それでドクターを救うことができる。結果、何千人も救える。
会社であっても人を救うことはできる。社会にコミットするってそういうことだと思います。

学生へのメッセージ

就活サイトに載っている会社だけが会社ではないと、強く言いたいです。就職サイトに載っている会社に入れないからと言って「氷河期だ」ではないと思います。その何十倍もの会社が人を求めています。人がこなくて困っています。事業継承ができなくて困っています。資金が潤沢でナビサイトに登録できる会社だけが日本の会社ではありません。
業界のキーマンは大手ではなく中小である事も多いので、ブランド名だけで安易に会社を選ぶのではなく、もう少し研究して欲しいです。逆に今はオンラインもあり会いやすいので、SNSを利用してぜひ話を聞いて欲しいと申し込めば熱意を買ってくれる経営者もたくさんいると思います。

余談 | オススメの本・マンガ・映画
オススメの本:
「マーケティング視点のDX」
江端浩人著
日本のDXがいまいちなのは、Dに寄り過ぎているから。マーケターの視点が重要なのです。弊社の取り組みも載っているので是非ご一読ください。
この人の話が聞きたい

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